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ポケモンに関する、Twitter (@lkm_mm) 上で吐き出した妄想をまとめていきます。

番外編2:「ポケットモンスター ブラック・ホワイト」発売10周年 〜当時を振り返りながら〜

@lkm_mm

 

早いもので、2020年9月18日で「ポケットモンスター ブラック・ホワイト」発売から10年が経ちました。今回はいつもとは趣向を変え、約10年前を振り返りながら「ブラック・ホワイト」(以降BW)についてを記したいと思います。この作品にも様々なテーマが盛り込まれているかと思いますが、私は特に「多様性」や「価値観」いうものを強く感じ取ったため、こちらについて記述していきます。BWの物語をご存知の方向けです(一部背景説明を省略している場合があります)。

 

※私は開発に関するエピソードやストーリー解釈については知識が少ない&不得手ですので、もしかしたら皆様と捉え方が異なる部分もあるかもしれませんが…。

 

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遡ることおよそ10年前、「原点回帰」とも言われた最新作がどのようなものになるかに私は注目していた。この前年に発売された、「金・銀」のリメイク版である「ハートゴールドソウルシルバー」をそれまでの「ポケットモンスター」シリーズの集大成のようなものと受け取っていたこともあり、同一シリーズの最新作であるにもかかわらず全く触れたことがないゲームをプレイしようとしているかのような気持ちだった。新しいシリーズの「ブラック・ホワイト」では、人間とポケモンの関わりについてをストーリー中で言及していくことになるという。その結末はどのようなものになるのか。そして、最新作で新たに登場するポケモンはどのようなポケモン達なのだろうか。BWの発売前は、そのようなことを漠然と考えていたように思う。

 

「ブラック」と「ホワイト」の2タイトルのうち、私が選択したのは「ブラック」だった。パッケージを飾るポケモンははくようポケモン・レシラム。ゲームのタイトルとは反対に、全身が白色のポケモンである。

 

まずは、BWの物語を振り返ろう。ストーリーを進めて明らかとなったことだが、レシラムは「真実を司るポケモン」、一方のこくいんポケモンゼクロム(「ホワイト」のパッケージを飾る全身が黒色のポケモン)は「理想を司るポケモン」であるという。古代イッシュにおいて双子の王と共にあった一匹のドラゴンが、「真実」を求める兄と「理想」を求める弟の対立の結果二匹に分裂した姿だという。これはストーリー中で語られた古代のイッシュ地方に関する伝説であるが、この伝説によれば、「どちらかだけが正しいのではない」と気づいた双子の王はやがて争いを収めた。しかし双子の王の息子達は再び争いを始めてしまった。これに憤怒したレシラムとゼクロムはイッシュを一瞬で滅ぼし、姿を消したとされている。

 

BWでは敵組織として「プラズマ団」という集団が登場する。彼らの活動目的は「(人間に支配される)ポケモンを解放すること」であり、ストーリー中ではカラクサタウンやソウリュウシティで演説を行うほか、シッポウシティの博物館やヤグルマの森、リュウラセンの塔などで暗躍をする。このプラズマ団で「王」と祭り上げられているのがNと名乗る青年で、ポケモンの「声」を聞く特殊な力を持つという。

 

ラクサタウンで初めて登場するNとは初対面でバトルをすることになったが、バトル終了後にNが衝撃を受けていたことが妙に印象に残った。彼はバトルを通じて、私(主人公)のポケモンの言葉を聞いたようだったが、一体何が彼にとって衝撃だったのか。この疑問は、ストーリーの終盤まで残ることとなった。

その後、Nとは数度に渡りバトルを繰り返すこととなるが、彼は「人間とポケモンを分ける」という理想へと向かっていくのだった。そのうちの一回である「電気石の洞穴」でのバトル後には、主人公にポケモン図鑑とパートナーのポケモンを授けたアララギ博士と主人公の幼馴染であるベルが登場する。その際、ポケモン図鑑作成のためにポケモンを捕獲することに異議を唱えるNに対し、アララギ博士は以下のような発言をしている。

 

だけど あなたの 意見も ひとつの 考え方なら

わたしの 願うところも 同じく ひとつの 考え方よ

ポケモン どう 付き合うべきか

それは 一人一人が 考え

決めれば いいんじゃない?

 

この時点でNは、このアララギ博士の意見では間違った判断をする人間が出てくる旨の考えをもっている。今から思い返せば、私が本文冒頭で述べた「多様性」や「価値観」に関する重要な場面であったように感じる。アララギ博士とベルはこのとき、電気石の洞穴ポケモンの調査(ギアルに関する調査だったと記憶している。ギアルには約100年前に突如姿を現したという話があったと思うが、その発言は確か電気石の洞穴でのアララギ博士の発言ではなかっただろうか?)に来ていた。相手(ポケモン)のことを知るために、仲良くなるためにデータを集めていた。相手が人間でもポケモンでも、それ以外の存在であっても、当然ながら自分とは異なるものである。自分の考えが絶対的に正しいと信じていたNには欠けていた考え方だ。

 

その後、ストーリー終盤にて、それぞれ伝説のポケモンと共に主人公とNは最終決戦に臨む。結果は主人公の勝利に終わるが、Nは戦いを通じて自身のある疑問に一つの結論を見出す。Nはイッシュ地方の各所で、イッシュの人々とポケモンが関わる様子を自身の目で実際に見てきた。その様子、特にポケモンの様子は、自身が知るそれとは全く異なるものだったのだ。自身がそれまで触れ合ってきた人間から虐げられ、悪意の下に扱われたポケモンしか知らなかったNの考えは、次第に揺れていったのだ。

 

同じ時代に 2人の英雄

真実を 求めるもの

理想を 求めるもの

ともに 正しいと いうのか?

……わからない

異なる 考えを 否定するのではなく

受け入れることで

世界は 化学反応を おこす

これこそが……

世界を 変えるための 数式……

 

「理想と現実のどちらかだけが正しいのではない」。かつて戦いの果てに、そう気付いた双子の王のように。Nは戦いの果てに、かつての王達と同じ結論を見出したのだ。

 

ブラックをプレイした当時、最終決戦の直前の「Nの城」にて、ゲーチス以外のプラズマ団七賢人と戦ったジムリーダーの一人・シャガの発言こそが核心をつくものであると確信した記憶がある。

 

そなたたちの 考えも

わからんでも ないが……

それ以外を 全て 否定する

その やりかたは 許せん

 

プラズマ団が主張していたような「人間とポケモンは共存するべきではなく、ポケモンは人間から解き放たれるべきだ」という主張自体は一つの考えにすぎず、一概に否定されるべきものではないはずだ(前述のように、アララギ博士が同様のことを述べている)。ポケモントレーナーの中には、ポケモンと共に過ごすうちに、「自身のパートナーは野生に帰った方が幸せなのではないか」等の考えを持つようになる者もいるだろう。反対に、これはトレーナーとそのポケモンの多くがそうであるのかもしれないが、互いが共にありたいと望む場合もある。人間とポケモンがどのような関係でありたいかを決めるのは、それぞれの人間とポケモン自身であり、他者が絶対的なあり方を規定するものではないのだ。

 

ストーリーの最後に、Nは自分がどうするかは自身で決めると言い、主人公へと別れを告げてその場を去った。ゲームはここでエンディングとなるが、そこで使用される曲のタイトルは「ENDING 〜それぞれの未来へ〜」。

 

世界には異なる考え方や価値観が存在する。それらはどれが一番正しいとか、優れているとか、そのような尺度では計れない。この物語の後に自身がどうするのか、明確には語られなかったがNはきっと自身が選んだ考え方・価値観に従って歩み始めたはずだ。このように、Nは自身の未来を進み始めた。

 

「では、これから君はどうするのか?どのような考えの下、何を大切にして未来へ生きるのか?」

 

10年経った今振り返ると、あの物語の終幕からはこのような問いかけを感じる。

 

これは人間とポケモンの関係という観点からは勿論、私達が「ポケットモンスター」シリーズのゲームを離れた日常生活を送るということに対しても投げかけられたように思う。私達自身は一人のプレイヤー(否、一人のポケモントレーナーという方が適切だろうか)として「ポケモン」とどのように向き合い、関わっていくのか。進学や就職、結婚、出産などのライフイベントにおいて、私達は何を考え、大切にするのか。BWプレイ当時も、10年前を振り返る現在も、そしてこの先の未来も、一人一人それぞれが決めることに変わりはない。その決断は、きっと一つとして同じではない。

 

さて、私が”diversity and inclusion”という言葉を初めて耳にしたのはいつだっただろうか。Nが言っていた「異なる考えを否定するのではなく受け入れる」という、まさにそれだ。BW以降のトレーナー達には様々な人種がいる。ポケモントレーナー以外の職業について描写が濃いジムリーダーもいる。様々な考えをもつ人々が登場する。

 

現実の世界も同じだ。様々な人種が存在し、様々な職業や活動に従事する人々がいる。ある事柄に対して、時に正反対の意見が出てくる場合もある。大切なことは、たとえ理解はできなくとも、その考えが存在することを認める姿勢ではないか。一方的に排除しようとしたり、強制を試みたり、偏った何かを押し付けようとすることが明確な間違いであり、「悪」といっても過言ではないのではないか。

 

BW以前も、「ポケットモンスター」シリーズは世界中でプレイされるゲーム作品だった。時が流れ、「ソード・シールド」が最新作となった今日でもそれは変わっていない。しかし、私という一個人の勝手な感覚としては、真に「世界レベルのゲーム」へと昇華したのはBWによって、だったのではないかとも思えてしまうのだ。

 

BWの物語についても、これまで私が記してきたような感じ方をした人がいるかもしれないし、あるいは全く異なる視点からの捉え方をした人もいるかもしれない。世界を見渡せば、きっと様々な意見が存在するのだろう。まさしく、多様な価値観が存在する世界ではないか。

 

 

ここまでお読みくださった皆様は、どのような考えをお持ちだろうか。

ご自身の考え・価値観を踏まえて、当時や現在、これからに想いを馳せてみるのはいかがだろうか。

大変僭越ながら、本文の最後に記させていただく。

 

ポケットモンスター ブラック・ホワイト」発売10周年、おめでとうございました。

 

 

(記念日より大遅刻  2020年9月22日)